全ての概念はKan拡張である、とは何か
「全ての概念はKan拡張である」この言葉はそれなりに有名になったと思いますが、これがどういう意味なのか、私なりの見解をここに書いておきたいと思います。
まず「すべての概念はカン拡張である(all concepts are Kan extensions)」というのは圏論の教科書『圏論の基礎(Categories for the Working Mathematician)』(以下、この本をCWMと呼ぶ)に書いてある言葉です。CWMの前書き(初版への序)には以下のように書いてあります。
圏論の基本概念が終わりの二章にまとめられている.たとえば極限の,より差し迫って必要となる性質,特にフィルター極限の性質,「エンド」の計算,そしてカン拡張の概念,といったものである.カン拡張は随伴の基本的構成の,より深い形式である.圏論のすべての概念はカン拡張である,ということを見て本書は終わる(第X章第7節).
この第X章第7節のタイトルは「すべての概念はカン拡張である」であり,簡単にいうと次のようなことが書いてあります。
- 余極限は左Kan拡張である(双対的に極限は右Kan拡張である)
- 随伴はKan拡張である
- 米田の補題はKan拡張である
確かに、圏論では大抵の概念が普遍性(極限や余極限)や随伴で定義されるので、そういう意味で全ての概念はKan拡張であると言えそうです。ですが、そう言われても「それで?」としか思えないのではないでしょうか。
実際の所、Kan拡張というのは圏論をやっていると至る所で現れるものであって、そういう意味で「全ての概念はKan拡張」なのです。ところが、そういう風に書いてある本があまり無いので、言われないと気付かなかったりします。そこで「全ての概念はKan拡張である」ことを示そうというのが圏論のページの目的でもあります。なのでこのページを読んでもらえればいいのですが、折角なのでその中からいくつか簡単に紹介しましょう。
まず、定理「任意の前層は表現可能関手の余極限で書ける」。CWMでは第III章第7節に同様の定理の証明があります。この証明は、なんか余極限が突然与えられてそうなる、というような証明です。この証明を読んだだけだと何故こういう余極限を考えればよいのか分かりませんが、それはKan拡張を考えれば直ちに分かることなのです。
次に、単体的集合から位相空間を作る「幾何学的実現」と呼ばれる操作があります。これは大抵余極限で定義され、色々な性質を持つ事が分かりますが、何故このような余極限を考えればいいのか分かりません。実はこれもKan拡張を知っていれば、ただの各点Kan拡張をしただけだということが分かるのです。(なおCWMでは第IX章第6節にコエンドを使った定義が載っていますが、これはコエンドを使った各点Kan拡張です。)
最後に「随伴関手定理」。CWMだと第V章第6節です。この定理では解集合条件(Solution Set Condition)という条件が出てきて、この条件がなんなのか良くわかりませんが、これも随伴がKan拡張であることを知っていれば、この条件があれば各点Kan拡張ができるという定理だということが分かります。
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コメント
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抽象数学大好き素人 | 2021年1月 9日 02:49
はじめまして。名前の通り、抽象的な数学が大好きで仕方のない一般人です。
ここ数ヶ月は「結合法則とは何か」ということをテーマに、主に圏論や半群論を勉強しています。具体的には、マグマあるいは集合から「最適な方法」で半群を構成できないか、ということを考えています。
このことについて質問があります。
(質問) 半群の圏 SemiGrp からマグマの圏 Mag への結合法則を忘れる関手 U : SemiGrp → Mag は存在し得るでしょうか。あるいは、半群の構造を忘れる関手 V : SemiGrp → Set は存在し得るのでしょうか。
これを質問した動機を説明します。
例えば、可換性を忘れる関手 Ab → Grp の左随伴関手によって群に「最適な方法」で可換性という性質を持たせることが出来ますし、群の構造を忘れる関手 Grp → Set の左随伴関手によって「最適な方法」で群を構成することが出来ます。ゆえに、もし質問の中で記したような関手 U ないし V が存在するのであれば、その左随伴関手を考えることで「最適な方法」で半群を構成できるのではないか、と考えました。
ですので質問を言い換えますと、左随伴関手を考えることで「最適な方法」で半群を構成することができるような関手は存在するか、となります。文章がややこしくてすみません。
補足になりますが、ここで言う「最適な方法」とは、私には上手く説明できませんが、恐らく「普遍性」という言葉を用いて説明されるべきものなのではないかと思います。
私自身、数学の知識が深いわけではありませんので、それを前提に質問にご回答して頂ければ幸いです。
長文、失礼いたしました。 -
抽象数学大好き玄人 | 2021年1月29日 12:30
はじめまして。名前の通り、抽象的な数学が大好きで仕方のない一般人です。管理人のalg-dではないですが、コメントいたします。
まず第一に抽象数学大好き素人さんの質問
(質問) 半群の圏 SemiGrp からマグマの圏 Mag への結合法則を忘れる関手 U : SemiGrp → Mag は存在し得るでしょうか。あるいは、半群の構造を忘れる関手 V : SemiGrp → Set は存在し得るのでしょうか。
と、これの言い換え
(言い換え) 左随伴関手を考えることで「最適な方法」で半群を構成することができるような関手は存在するか
とでは、意味が異なることは注意しなければなりません。実際、すべての函手が左随伴を持つわけではありませんから、(質問)の答えがYesであったとしても(言い換え)の答えがNoである可能性はあります(そしてその蓋然性は一般の状況であれば高いといって差し支えないでしょう)。
その上で(質問)について考えると、構造を忘れるような「函手を為しうるデータ」は、「構造を忘れている」のみであることから函手を為すことが確かめられます(ただし蛇足として終わり際に詳しく書いた通り U に至っては構造さえ忘れていません)。実際、 U も V も同様ですので例えば U について考えてみると、写像の対応が包含に過ぎないことから合成可能な SemiGrp の射 f と g について U(f〇g)=f〇g=U(f)〇U(g) と計算できることと、SemiGrp および Set の恒等射が恒等写像であることから U(id_X)=id_X=id_{U(X)} が成り立つので U は函手であることが分かります。(存在することが分かったので)以下では先のポストにあった記号 U : SemiGrp → Mag および V : SemiGrp → Set という記法を使います。先に述べた通りこの時点では U や V が左随伴を持つことは(何も知識を仮定しないと)非自明といえます。
では抽象数学大好き素人さんが考えられていた(言い換え)の方についてはどうかというと、実は存在することが分かります。いずれも詳細は調べて頂きたいのですが、V の左随伴については「自由半群」を考えるとよいです。自由半群の構成は忘却函手 W : Mag → Set の左随伴が「自由マグマ」として得られ、自由マグマを「結合律が成り立つならば一致するべき元同士を同一視するような同値関係」で剰余マグマを取ることで得られます(射の対応については、自由マグマの普遍性および自由半群の普遍性から得られます。尤も、今回の例における随伴性自体がこの普遍性に由来するものですが)。
次に U の左随伴については、マグマ に対してこれの台集合 X から得られる自由半群を対応させる函手を考えればよいです(射の対応は先と同様です)。ですから、要約すると一番最初に忘却函手 W : Mag → Set の左随伴であるところの「自由マグマ函手」を構成し、次いでこれを用いて V : SemiGrp → Set の左随伴であるところの「自由半群函手」を構成するとよいでしょう。そしてそれらが函手であることや、随伴であること(この証明は素朴に考えるなら自然同型を構成するべきです)を証明しましょう。その上でこれらを用いると U : SemiGrp → Mag の左随伴函手の候補が容易に構成でき、構成された函手が実際に左随伴であることも先の場合に比べれば容易に示すことができるでしょう。
また蛇足ですが、「結合法則を忘れる関手 U : SemiGrp → Mag」という表現は少し違和感を覚えます。というのも、半群もマグマも備えている構造自体は二項演算にしか過ぎず、所謂「忘却函手」と呼ばれる函手Uは、実体としては「何も忘れていない」からです。より正確には半群 (X, *) を函手 U で写した U((X,*))は U の定義に常識的なものを採用すれば (X, *) と同じであり、よってMagの対象ではあるものの結合律自体は成立しています。これは「結合律が構造ではなく性質である」ことに起因しています(あるいはこのような事実に基づいて「結合律が構造ではなく性質である」というと考える立場もあるかもしれません)。これまた蛇足ですが、今回の例は随伴函手定理からも左随伴を持つことが証明できると思いますので、是非壱大整域の該当するpdfを読み、圏論の一般論を使ってできるかぎり議論を明瞭にしてみると面白いと思います。
長文、失礼いたしました。